まだまだ、アメリカの開拓が遅々として進んでいなかった、1800年代。
アメリカ政府は西海岸に向かって開拓の推奨を推し進めていきます。
そんな中アメリカと衣服の歴史に革命的な出来事が起きます。それは1848年の金鉱の発見。
一攫千金を夢見た労働者達が世界中から大勢カリフォルニアに集まり、ゴールドラッシュに涌くサンフランシスコで、世界で最初のジーンズは誕生します。
そのジーンズと呼ばれるパンツの誕生にはある2人の商人を忘れることはできません。
1人目はリーヴァイ・ストラウス。
今のリーバイ・ストラウス社の創始者。リーヴァイは一家でドイツからニューヨークに渡り衣類商を営んでいたものの、ゴールドラッシュに乗じて1853年にサンフランシンスコへ。ニューヨークから兄が送ってくれる生地や洋品雑貨を商いをはじめます。人々が大挙して押し寄せる西海岸では、生活必需品はニューヨークの10倍の値段で取引されます。彼の売り上げは順調に伸び、リーヴァイは1865年にリーバイ・ストラウス・カンパニーを設立しました。
2人目はヤコブ・デーヴィス。
ビジネスが順風満帆だった1867年のある日、リーヴァイはヤコブ・デーヴィスというユダヤ人から手紙を受け取りました。ヤコブはリーバイ・ストラウス社から生成りのキャンバス地などを仕入れ、荷馬車のカバーやテントを作って販売していた職人。
ある日、ヤコブは木こりの奥さんから「絶対に破れないズボンを作って」という注文を受け、10オンスのキャンバス地で作業ズボンを縫っているときに、たまたま机の上にあった馬具に使うリベット(鋲)をポケット口に打ち込んでみました。
すると、その作業ズボンは「丈夫だと評判になり」、次々と注文が殺到。
ヤコブはこの製法の特許を取ろうと考えましたが、当時の特許料を一人で払うことができず、1867年にリーバイ・ストラウス社に手紙を書き相談します。この相談にリーヴァイ氏は応え、共同でこのズボンの特許を申請することになるのです。
その後ヤコブを生産部長としてリーバイス社に招いたリーヴァイ氏はパンツの量産を行います。
リーバイス社のネットワークとヤコブ氏の技術を併せ持ったこのパンツは、あっという間に当時の労働者達に大人気となり、労働者達の間で確固たる地位を築き上げるのです。
当初「ウエスト丈のオーバーオール」と販売されていたこのパンツのディテールは、ベルト通しがなく、サスペンダー用のボタンと、後部にはストラップとバックルがついて絞るような形をしていました。これがジーンズの原型である501の最初の形と言えます。
その後すぐさま改良、ポケットには裏地の布を抑えるため、カーブしたV字を二重に縫い込むアーキュエット・ステッチ(弓のような形をしたステッチからこう呼ばれました)が施され、ベルト通しの部分には二頭の馬にこのリベティッドパンツを引かせている図柄(パンツの強度をこの図柄で表したと言われています)を印刷した保証書(ギャランティパッチ)がつけられました。
のちのアイコンとなるディテールはこの頃完成したと言っても過言ではありません。
しかしどんな革新も、小さなチャレンジ精神からはじまるものですが、この馬具のスタッズが服飾の歴史に大きなクサビを打つことになるなんて、この時ヤコブは考えもしなかったのではないでしょうか。1890年にはリーバイ・ストラウス社が申請したリベットつきパンツの特許が切れると、たくさんの会社で様々なジーンズが作られ、ジーンズの文化はより豊かなものになりました。いまやあらゆる世代で等しく世界中で履かれるジーンズ。その原点は屈強な労働者たちの作業着として耐えうる堅牢さと機能性の追求があったこと、そして労働者たちのニーズが育てたワークパンツの王様だということが言えるのではないでしょうか。