岡山をジーンズの聖地に マルオ被服(BIG JOHN) 前編

# ジーンズの歴史

岡山は
どうしてジーンズの聖地になったのでしょうか?
日本でジーンズが生産され始めたのは大凡1965年ごろ。

当時日本では自由に貿易することは許されて
いませんでした。それはまだ日本では外貨が
不足していたからなんです。

管理貿易の中、大石貿易はキャントンとのデニム生地
輸入の許可を政府から取り付けます。

そこで箱根より東はジーンズの販売権を大石貿易が
持ち、西をマルオ被服(BIG JOHN)が持つと
決まります。

岡山県にジーンズの歴史が刻まれた瞬間です。

マルオ被服は作業服や学生服を作ることに
長けている工場であったとはいえ、皆ジーンズを
見て愕然!

日本では見たことのない太さ(番手)の糸を
使っていた。さらにジーンズに使うリベットなどの
付属品は見たこともない。
極め付けはその生地の厚さ!当時4ozから5oz程度の
生地しか扱ったことのない中でいきなり14ozの
デニム生地が入ってきたわけです。
皆困った!縫えるミシンがない…。

まずはミシンを手に入れるためにアメリカから中古の
ユニオンスペシャル社製ミシンを購入します。

さらに当時日本では綿糸といえば30番手と50番手の
細い糸しか存在しない!
※数字が大きくなるほど太い糸を表します。
なので0番手の糸が一番太い糸ということになります。
ジーンズに使われていた20番、10番、6番、8番
といったいった太い綿糸は作るか輸入するしか
なかったんです。
しかしジーンズのためだけに糸を作るのはコストが
かかる。
それならと政府に掛け合い、通産省で輸入許可を取りつけ、
大蔵省でドルを購入して、綿糸をはじめ
リベットやジッパーといった付属品を輸入します。

こんな試行錯誤の中岡山で国産ジーンズを誕生
させます。

トンとのデニム生地
輸入の許可を政府から取り付けます。

そこで箱根より東はジーンズの販売権を大石貿易が
持ち、西をマルオ被服(BIG JOHN)が持つと
決まります。

さらにマルオ被服は大石貿易からのデニム生地では契約上
関東に進出できないため、デニム生地を大石貿易から
手配するキャントンを辞めて、独自ルートを開拓。
コーンミルズからのデニム生地調達を成功させます。
マルオ被服はここにきて「全て自前でジーンズ」を作ることを
完成させました。
ところが
出来上がったジーンズは硬くてまるで「ブリキ」と社長の尾崎氏は
つぶやきます。「この硬さなんとかならないか?」
社員たちは考えた挙句当時では考えられない「一度洗うことを選択」します。
この洗いは「ビッグウォッシュ」と呼ばれ、BIGJOHNの看板の一つになります。
こうしてマルオ被服オリジナルのジーンズは誕生しました

洗いをかけた初めてのジーンズこそが国産ジーンズの原点なんですね。
さあ
関東へ進出する土壌が整ったところで、同郷の岡山出身でもある
石津健介氏から助言があります。
東京で成功させるなら伊勢丹のような百貨店に置かなければダメだと。
ところが伊勢丹に持ち込んだジーンズは洗いがかかっており
「こんな洗ったものを売るなど伊勢丹ではできない」と断られます。

そこでマルオ被服の担当者は当時衆議院の秘書会長をしていて
のちに衆議院議員になる加藤六月氏に相談します。
加藤氏は堤康二郎氏の秘書であった森氏と面識があり
そのツテを使って西武百貨店にジーンズを持ち込みます。
そこでも同じように「洗ったジーンズは…」と言われてしまいますが、
そこは加藤氏の一言「上野や道玄坂の路面店で売れているなら
置いてみるだけでも」と言う一言で
西武百貨店での出店が決まったという経緯だそうです。
ところが西武百貨店から注文が入ります。
「百貨店で路面店で置いているブランドと同じは困る」そこで
新ブランドを考えることになります。
それが今現在も続く「BIG JOHN」ということになるんです。

それにしても当時は洗ってある商品を販売するなんて言語道断だったんですね。
さらに路面店で売られているブランドは扱えないなんて。
今となっては隔世の感が否めませんね^_^こうして
1967年に「BIG JOHN」の第一号ジーンズが誕生するわけです。
続きは明日またここでお話しします^_^