第7回 ヴィンテージジーンズの終焉に向かって

# デニムって何?

今回はLevi’sの501についての第5弾となります。

様々な要因が複雑に絡み合い、後年我々がヴィンテージと呼ぶジーンズは1970年代を境に終焉を迎えます。

今回が最後。501ビッグEそして66モデルを紹介していきます。

XXがなくなりビッグEへ
(1971年頃まで:俗に言う501ビッグEモデル)

XXの最終期には、それまでの象徴的ディテールであった隠しリベットも廃止になり、いよいよ現代のジーンズとほぼ変わらなくなります。

そしてLevi’s社は工場での大量生産や品番数の増加により、XXの刻印を廃止します。

※そのあともしばらくは様々な形でXXは残るのですが、それも今ではビッグEの範疇とされています。

先にも記述した通り、Levi’s社は生産工場を増やし、大量生産化を進めていきますがそれにより、ジーの「品質低下」が生じました。

そのことがこの時代のパッチにも見て取れます。そう“タイプ物”と呼ばれ、パッチにA S Fと表示されていました。これはそれぞれ品質の表示でFはいわゆるB品ということになります。

さらには工場での大量生産によって、生地の「均質化」が進み、ヴィンテージジーンズの醍醐味「色落ち」が少しずつ味気のないものとなっていくのです。

それでもまだこの時代は色落ちなどその後のモデルに比べ、味があり魅力的です。

Eからeへ
(1982年頃まで:俗に言う501 66モデル)

Levi’s社がビッグEからスモールeへの表記の変更を行ったのは、Levi’s社が株式を公開した1971年と一般的に広く知られています。

リーバイス社の資料にも1971年、株式公開の年に赤タブの表記がEからeに変わったとの説明がありますのでまず間違いはないでしょう。

さあ、そのスモールeモデルは、最後のヴィンテージジーンズとも呼ばれ、“66モデル”という愛称で今も親しまれています。。

しかしそのモデル名の由来は、1966年という年代ではないんです。

ではなんで?

66のネーミングは、購入時にバックポケットに付属しているフラッシャーの一番下、Copy Rightの登録更新された年の記載が1966年となっていることから命名されたと言われています。

66は1966年製のモデルという意味ではなもちろんなく、1970年代のモデルです。

ということは、1966年が刻印されたフラッシャーは、66年以降のため最終501XXやビッグEにも付けられていたので、66モデルに限られたものではありません。

この時代になると商品の均質化はさらに進み、黄金期の501に比べると風合い、味わいはかなり失われていきます。それでも66モデル前期は色落ちもまだ縦落ちが特徴で、さらに時代の流れで以前に比べてシルエットも細くなっており、この時代のモデルが好きなファンも未だに多くいます。

そして1982年ごろには29インチ幅で織る古い織り機は姿を消し、より生産性を増すため、61インチ幅の織り機が登場。特徴的であった赤耳(セルヴィッジ)も時を同じくしてなくなり1983年頃を最後にヴィンテージモデルは全て姿を消していきます。

そして1983年から約5年。古い501に新たな価値観を見出した日本人バイヤーは、アメリカのフリーマーケットやジーンズショップを回り、ヴィンテージジーンズを探し回り始めます。

そう空前のヴィンテージブームが幕を開けたのです。

そういう私もこのブームに乗っかり、ジーンズ探し回りました^^;

それが今の糧になってます。

5回に渡って振り返ってきたLevi’s社の簡単な歴史。ひとまず終了となります。

 

Levi’s501はそれぞれの時代によって、ディテールはより細かいものがございます。それはまたこのコラムでおいおい書いていきたいと思います。

次はLeeやWRANGLERの歴史も書きたいな。

来週からはまた違った視点からデニムをお伝えします。